運営者プロフィール
田中利知
1988年5月5日生まれ。山口県出身、東京都在住。
Web記事のライター・編集者をメインに、コピーライター・Webマーケッター・撮影ディレクター・キャスティングディレクターなど制作の仕事を広く行なっています。
「バカ文経」のミッション
「未来について多面的に考えられる力を経済学で養う」
新聞やテレビのニュースをみて、正しい・間違っているとの判断軸をあなたは持っていますか?
経済学や経済について勉強するまで、私はよく分かりませんでした。
デフレ・インフレ、円安・円高、緊縮・反緊縮……『聞いた経験はあるけど、どっちがどっちだっけ?』といった状態です。
勉強してみて分かったのは、たとえばデフレの方が都合のいい人もいれば、反対にインフレになった方が都合のいい人もいるとの相反する意見の存在です。
“自分にとって正しいのか”、また“間違っているのか”、また“間違っているならどうしたら良いのか”は自分自身で考えないといけないんだと私は勉強していくなかで悟りました。
株価は半年先の将来を映す鏡です。
またバブル崩壊が1990年、ITバブル崩壊が2000年、リーマンショックが2008年、コロナ不況が2020年と、経済的な不況はおおよそ10年周期で訪れるといわれています。
「バカ文経」は、コロナ不況終焉の目処がちらつき東京オリンピック・パラリンピックが終幕した2021年9月に公開しました。
いま目の前にある経済的な事案について、正しい・間違っていると判断できる力を養うお手伝いができればうれしいなと私は考えています。
もちろん私もこのサイトの更新によって考える力を養っている最中です。
つぎの半年や10年先の未来を考えるために、一緒に経済学の知識を養っていきましょう。
学歴
■高校時代
山口県立防府高等学校 普通科 卒業
“地元の進学校”なだけで選んだ学校です。
『大学進学はするんだろうな』と思っていましたが、どこに行って・どのような職業に就きたいかもまったく検討がついていませんでした。
中学校までの学習はつまずかずにきたのですが、高校になって登下校の時間が増えたり部活が忙しくなったりしたためか、勉強する時間と体力がなくなり、成績も鳴かず飛ばず。
とくに“数学が苦手”という理由で、文系に進みました。
いま考えればやっていなかっただけなのですが、数学の先生たちとも馴染めず、また英語は好きだった影響もあって、文系に進むのにとくに違和感も覚えていなかったのが本音です。
2年生のころから進学塾に通ってなんとか、センター試験(現・大学入学共通テスト)をパスするぐらいの数学力は尽きました。
ただしそのあとの国立大学の二次試験は英語で受験したので数学はセンターレベルでおしまいです。
■大学時代
群馬大学 社会情報学部 情報行動学科 卒業
経済学と私が出会ったのは大学生のころです。
文系の科目を広く学べる学科で、私は人文・社会系の専攻だったのですが、経済学の授業も受講できました。
人文・社会系の勉強がつまらなかったわけではないんですが、公式や論理が存在するわけでもなく、『これはどうやって利用したらいいんだ?』と感じたのをよく覚えています。
対する経済学は、いままでぼんやりとしか見えていなかった経済のメカニズムがモデル化されていたり、自分の意思決定を数的に考えられたりと実用性しか感じませんでした。
経済のゼミは学科が違うため入れず、最終的に人文・社会系のゼミを経て卒業します。
ただ経済学の面白さをずっと忘れずに、こうしてブログを開設するまでに至ったわけです。
職歴
■株式会社ダスキン
大学卒業後に新卒で株式会社ダスキンに入社しました。
最初の配属先が東京都だったため、就職を契機に東京都に引っ越してきます。
ルートセールスや新規開拓に従事する営業マンとしてキャリアをスタートしました。
ダスキンは経営理念がしっかりしていて、仕事をする上での心構えを学べる会社だったと思います。
同期内で1位・全体で30位と営業成績も好調で、恵まれた環境で育てていただいたのにも感謝です。
同期もいて楽しい職場だったのは間違いありません。
■株式会社オスカープロモーション
しかしダスキンの営業所が統廃合で無くなる計画が浮上します。
それを契機に、株式会社オスカープロモーションに転職しました。
もともと田舎者のミーハーなので、はなやか業界に引かれたのは恥ずかしい限りです。
企画営業職という名の“何でも屋”で、営業はもちろん、制作のいろはをここで学びました。
コンテストやイベントの企画・運営に携わったり、SNSを使った広告の企画・運営、雑誌や広告へのモデルキャスティングに取り組んだりと多くの経験が積める職場だったといえます。
■フリーランス
そののちキャスティングディレクターやライターとしてフリーでの活動を開始します。
テレビの制作会社を作るのを手伝ったり、ライブのクイックレポなどをしたりとこの期間も多くの学びがありました。
在京キー局のテレビ局に出入りをして、1日だけのADをやったのはいい思い出です。
■株式会社ネイビープロジェクト 設立
そして2015年10月21日に株式会社ネイビープロジェクトを設立しました。
その日は、映画『Back to the Future Ⅱ』で主人公のマーティが過去から到着した“未来”の日にあたります。
また会社の名前は、好きな色であった「ネイビー」に“企画”の英訳の「プロジェクト」をつけたものです。
それぐらい考えもなく、なんとなくで会社を作ってここまできました。
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独学で学んだ内容をまとめているため、間違っている箇所があるかもしれません。
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